勤務医はいくらあれば自由になれるのか|自分なりの「Enough」を決めよう

勤務医として働いていると、お金にまつわる目標を耳にする機会が本当に多いと感じます。

老後資金は2000万円必要だ。
まずは金融資産5000万円を目指したい。
1億円あれば安心できる。
経済的自由を得るには、もっと必要だ。

SNSを眺めていると、医師にとって「資産1億円」が、一つの共通目標のように語られている場面をよく見かけます。

勤務医は比較的収入が高く、長く働き続ければ、1億円という数字も決して手の届かないものではありません。実際、周囲にも達成した先生は何人もいるでしょう。

では、1億円を手にした瞬間、お金の不安は本当に消えるのでしょうか。

その瞬間から、自由を実感できるようになるのでしょうか。

おそらく、答えは人によって違います。

生活費も、家族構成も、住む場所も、これからやりたいことも、一人ひとり異なるからです。

それ以上に厄介なのは、1億円を達成したあとに、また次の目標が生まれてくることです。

次は2億円。
その次は5億円。
周りを見れば、10億円以上の資産を持つ人もいる。

上を見始めると、どこまで行っても終わりが来ません。

だからこそ、資産形成を続ける前に、自分にとっての「Enough」――「これだけあれば十分」という基準を、一度決めておく必要があるのだと思います。

1億円あれば、本当に安心できるのか

かつて「老後2000万円問題」が大きな話題になりました。

あの数字に不安を感じた人は多かったはずです。一方で、一定の収入がある勤務医にとっては、時間さえかければ準備できる金額だと感じた先生もいたと思います。

ところが、医師の資産形成について調べていくと、2000万円どころか、5000万円、1億円、さらにその先の金額が次々と目に入ってきます。

人は一つの目標を達成すると、それまで見えていなかった次の目標が急に気になり始めるものです。

資産1000万円を目指していたときは、1000万円あれば安心できると思っていた。
達成すると、今度は3000万円必要な気がしてくる。
3000万円に届くと、次は1億円が遠くに見える。

これは、特別に欲深い人だけに起こることではないと思います。私自身にも、一つの目標を達成すると、すぐに次の目標を考え始めてしまうところがあります。

お金は、増えるほど、同じ金額から得られる満足感が小さくなっていきます。

資産がほとんどないときに得る100万円は、生活や将来を大きく変えるかもしれません。しかし、すでに十分な資産を持っている人にとって、同じ100万円がもたらす喜びは、それほど大きくないでしょう。

経済学では、こうした考え方を「限界効用逓減」と呼びます。

お金が増えれば、安心もある程度までは増えていきます。けれども、その増え方は次第に小さくなっていく。

それにもかかわらず、以前と同じだけの満足感を得ようとすると、さらに大きな金額を追いかけることになってしまいます。

1億円の次は2億円。
2億円の次は5億円。

その途中で健康や家族との時間を失ってしまえば、何のための資産形成だったのか分からなくなります。

資産額に終点を設けないこと。

これは、静かに人を追い詰める、人生の一つの罠なのかもしれません。

資産形成は競争ではない

資産形成を続けていると、どうしても他人の数字が気になってしまうことがあります。

同年代の医師が、どのくらいの資産を持っているのか。
何棟の不動産を所有しているのか。
何歳で経済的自由を達成したのか。

情報を集めること自体は、悪いことではありません。他の人の経験から学べることは確かに多くあります。

ただ、それがいつの間にか競争にすり替わると、少し息苦しくなります。

1億円持っている人が、10万円しか持っていない人より、人間として優れているわけではありません。

資産額は、その人の人格や、人生の価値を表す点数ではないからです。

医師の世界では、試験、偏差値、症例数、論文数、役職など、数字や肩書きで評価される場面が数多くあります。

若い頃から競争の中で努力してきた人ほど、資産形成にも同じ感覚を持ち込みやすいのかもしれません。

しかし、資産形成には合格点も順位表もありません。

家族4人で都市部に暮らす人と、地方で一人暮らしをする人では、必要な金額はまったく違います。子どもの教育費、住宅費、親の介護、自分の健康状態によっても変わってきます。

それぞれがまったく別の条件で生きている以上、資産額だけを比べても、実はあまり意味がないのです。

資産形成は、他人に勝つための競争ではなく、自分が望む人生を送るための準備だと思っています。

お金は「自由」を得るための切符

私にとって、お金は「自由」を得るための切符です。

もちろん、お金だけで何もかも解決できるわけではありません。健康を失えば、お金があってもできないことは出てきます。家族との関係や、生きがいをそのまま買うこともできません。

それでも、お金があることで選べる選択肢は確実に増えます。

当直を少し減らす。
常勤から非常勤へ移る。
体調が悪いときに無理をしない。
家族との時間を優先する。
興味のある仕事に挑戦する。
収入が下がっても、納得できる働き方を選ぶ。

お金そのものが自由なのではなく、お金が「断る余地」や「選び直す余地」を作ってくれるのだと思います。

一方で、自由を得たあとに何をしたいのかが決まっていなければ、資産形成はいつまでも終わりません。

何となく不安だから増やす。
周囲が1億円を目指しているから自分も目指す。
減るのが怖いから、使わずに働き続ける。

それでは、切符を買うことだけに夢中になり、どこへ行きたいのかを考えていない状態になってしまいます。

まず考えたいのは、「いくら欲しいか」よりも、「そのお金によって、何を選べるようになりたいか」ではないでしょうか。

私の場合、医師を辞めることが目的ではありません。

生活のために、望まない働き方まで引き受けなければならない状態から離れたい。自分の健康や家族との時間を守りながら、医師としてできる仕事を続けたい。

そのために、お金が必要だと考えています。

大きすぎる目標が、人生の足かせになることもある

目標は大きい方がよい。

若い頃の私は、どちらかといえば、そう考えていました。

大きな目標を掲げることで、努力を続けられることは確かにあります。少し無理をしてでも前に進む力になることもあるでしょう。

人生の前半では、それが良い方向に働く場面も多いと思います。

しかし、年齢を重ねるにつれて、目標との付き合い方を少し変えた方がよいのではないかと感じるようになりました。

体力には限りがあります。使える時間にも限りがあります。家族との時間や、自分の健康を後回しにできる期間も、決して無限ではありません。

たとえば、自由になるために資産形成を始めたはずなのに、「10億円を達成するまでは勤務を減らさない」と決めたとします。

その目標のために、当直を続け、休日も仕事を入れ、体調が悪くても休まない。

それでは、自由を得るための目標が、かえって自由を遠ざけることになってしまいます。

目標を達成できない自分に無力感を抱き、すでに得ているものにも満足できなくなるかもしれません。

大切なのは、目標を低くして諦めることではありません。

健康や時間を壊さず、地道な努力を続ければ手が届く範囲に、目標を置くことです。

人生後半の目標は、あえて少し控えめに置いてもよいのかもしれません。

結果が上振れたときには素直に喜べます。思うように進まない時期があっても、人生全体を失敗だと感じずに済みます。

一時的に大きく伸びることよりも、無理なく長く続けること。

人生の後半では、その方が、結果として遠くまで行けるのではないかと思っています。

Enoughは「資産額」より「毎月のキャッシュフロー」で考える

Enoughを決める方法として、資産額を基準にする考え方があります。

5000万円、1億円、2億円と、目標がはっきりしているので分かりやすい方法です。

ただ、私には一つ気になることがあります。

目標額を貯めたあと、本当にその資産を取り崩しながら生活できるのか、ということです。

長年、資産を増やすことを習慣にしてきた人にとって、残高が減っていくのを見るのは、思っている以上に怖いことなのではないでしょうか。

登山では、頂上に着くことだけでなく、安全に下山することが大切だと言われます。

資産形成も、これによく似ています。

積み上げている間は、目標に向かって進めばよい。しかし、目標額に到達したあと、その資産をどう使うのか、いつ働き方を変えるのかまで考えておかなければ、いつまでも山を登り続けることになってしまいます。

そして、せっかく得た果実を十分に味わわないまま、人生を終える可能性も出てきます。

そのため、私は資産総額よりも、毎月のキャッシュフローを一つの基準にしています。

家賃収入や配当、将来の年金、仕組み化された事業収入など、診療時間に直接依存しない収入が、毎月の生活費を上回る状態です。

少なくとも私にとっては、

「診療時間に直接依存しない毎月の収入が、生活費を上回ること」

が、経済的自由の一つの目安になっています。

現時点では、私は主に、不動産から得られるキャッシュフローをその基準にしています。

毎月入ってくるお金の範囲で暮らせるなら、資産を取り崩している感覚は小さくなります。働く日数を減らしても、生活がすぐに行き詰まることはありません。

ただし、キャッシュフローさえあれば、現金を持たなくてよいという話ではありません。

病気、家族の事情、不動産の修繕、空室、金利の変化など、予定外のことは起こります。そのため、突発的な支出に対応できる手元資金は、別に確保しておく必要があります。

毎月入ってくるキャッシュフローと、いざというときに使える手元の現金。

この二つを分けて考えるようになってから、私にとってのEnoughは、少し具体的なものになりました。

お金だけでなく「どのように働きたいか」も決める

経済的自由という言葉から、完全リタイアを思い浮かべる人もいるでしょう。

しかし、私は完全に仕事を辞めたいとは思っていません。

私にとって労働は、単なる苦役ではありません。

自分が学んできたことや経験してきたことを、社会に還元できる大切な営みです。患者さんと関わり、医師として役割を持つことには、収入だけでは測れない意味があります。

問題は、働くことそのものではありません。

生活のために、働き方を選べないことです。

当直を減らすと、今の生活水準を維持できない。
常勤を離れると、教育費や住宅費への不安が大きくなる。
体調が悪くても、収入や職場への影響を考えて休みにくい。

こうした状態では、仕事に意味を感じていても、少しずつ苦しさが積み重なっていきます。

十分なキャッシュフローがあり、生活のために必ずしも働く必要がなくなったとき、自分はどのように働きたいのか。

これは、資産形成を終えてから考えるのではなく、今のうちから考えておいた方がよいと思います。

完全にリタイアしたいのか。
週に2日か3日、臨床を続けたいのか。
当直とオンコールだけをやめたいのか。
診療以外の形で、経験を伝えたいのか。

私自身は、できることなら生涯現役でいたいと思っています。

ただし、生活のために働き続けるのではなく、自分の体力や家族との時間に合わせて、仕事の量と内容を選べるようになりたい。

その働き方まで含めて、私にとってのEnoughです。

お金の目標だけを達成しても、その先の暮らしが空白であれば、かえって虚無感を抱くことがあります。

資産形成の目標には、「いくら持つか」だけでなく、「達成したあと、どのように働くか」も書き込んでおく必要があると思います。

80歳の自分から、必要な金額を逆算する

将来の自分を考えるとき、私は80歳の生活を具体的に言葉にしてみることが有効だと感じています。

80歳の自分は、どこで暮らしているのか。
誰と時間を過ごしているのか。
医師として働いているのか。
週に何日くらい働いているのか。
どのような健康状態でいたいのか。
家族とは、どのような関係でいたいのか。
旅行や趣味に、どのくらい時間を使いたいのか。

数字だけを見ていると、必要なお金はどうしても大きくなりがちです。

将来は何が起こるか分からない。
医療費も介護費も必要かもしれない。
物価も上がるかもしれない。

そう考えれば、いくらあっても足りないように感じてしまいます。

しかし、80歳の一日を具体的に描いてみると、少し見え方が変わってきます。

朝は何時に起きるのか。
どこへ出かけるのか。
誰と食事をするのか。
どの程度仕事をするのか。
何にお金を使いたいのか。

私が思い描いている80歳は、完全に仕事を辞めた生活ではありません。

80歳になっても健康で、自分の足で歩き、自分の頭で考え、自分の意志で働いていたいと思っています。

週に2日ほど訪問診療を続け、患者さんやスタッフから信頼される医師でいたい。

ただし、仕事は生活費を稼ぐためではありません。社会とのつながりや、自分の生きがいとして続けていたいと考えています。

経済面では、不動産収入や金融資産、公的年金によって生活への不安がなく、働くかどうかを自分で選べる状態が理想です。

健康については、年齢相応に衰える部分はあったとしても、自分の足で動ける体力を保ち、できるだけ若々しく過ごしたい。

そして、妻と旅行を楽しみ、息子たちの家族や孫とも自然に交流し、ときには三世代で旅行に出かけられるだけの時間と体力を残しておきたいと思っています。

もちろん、望む家族との関わり方や、誰と時間を過ごしたいかは人によって違います。

大切なのは、誰かの正解に合わせるのではなく、自分が望む暮らしを、自分の言葉で描いてみることだと思います。

さらに、自分が試行錯誤してきた「健康・時間・お金」の整え方を、次の世代の勤務医にも伝えていけたらよいと考えています。

こうして80歳の生活を言葉にしてみると、私が本当に欲しいものは、単に大きな資産ではないことが分かります。

健康で動ける体。
家族と過ごせる時間。
生活のために働かなくてもよい経済的な余裕。
それでも、望めば医師として社会とつながっていられること。

その生活を実現するために、どのくらいの収入や資産が必要なのか。

自分が望む暮らしが見えてくると、必要な住居費や生活費、旅行費、医療や介護への備えも、少しずつ考えやすくなります。

必要な金額から人生を考えるのではなく、望む人生から必要な金額を逆算する。

その順番が大切なのだと思います。

もちろん、80歳の理想像は途中で変わって構いません。

家族の状況も、健康状態も、社会の環境も変わっていきます。Enoughは一度決めたら動かしてはいけない数字ではなく、人生に合わせて見直していく基準です。

それでも、今の時点で一度言葉にしておくことには意味があります。

目的地がまったく見えないまま走るより、今の自分が向かいたい方向を知っている方が、働き方もお金の使い方も選びやすくなるからです。

自分を幸せにする金額を、自分で決める

お金は、とても個人的なものです。

どこに住みたいか。
どのような家族関係を望むか。
何歳まで働きたいか。
何に喜びを感じるか。

それぞれ違う以上、幸せになるために必要な金額も、当然違ってきます。

それにもかかわらず、お金は数字で簡単に比較できてしまいます。

健康には、「世界で一番健康な人」という分かりやすい順位はありません。しかし、お金には「世界で最も資産を持つ人」という順位が、実際に存在します。

そこが、お金の難しいところです。

100億円持っていても、1000億円持っている人を見て、自分は足りないと感じることはできてしまいます。

比較の中で生きている限り、十分だと思える瞬間は訪れません。

他人の資産額によって自分の満足度が決まるとしたら、それは自分の人生の舵を他人に握られているのと同じです。

Enoughを決めることは、「これ以上成長してはいけない」と自分に制限をかけることではありません。

ここまで来たら、健康や家族との時間を犠牲にしてまで増やす必要はない。
ここまで来たら、勤務を少し減らしてもよい。
ここまで来たら、お金を貯めるだけでなく、人生のために使ってよい。

その境界線を、自分自身で決めることです。

お金も健康も、本来は幸せに生きるための手段です。

ところが、他人との比較に巻き込まれると、お金だけがいつの間にか人生の目的にすり替わってしまうことがあります。

何のために働くのか。
何のために資産を作るのか。
どのくらいあれば、自分と家族が安心して暮らせるのか。
そのとき、どのような働き方を選びたいのか。

この答えを、他人に決めてもらうことはできません。

自分の幸せを、自分で考える。
自分に必要な金額を、自分で決める。
そして、十分なところまで来たら、得た自由を実際に使ってみる。

それが、人生における本当の自立なのではないかと思います。

まとめ

勤務医にとって、1億円は一つの目標になるかもしれません。

しかし、1億円という数字そのものが、安心や幸福を保証してくれるわけではありません。

目標を達成すれば、また次の数字が気になります。上を見れば、さらに多くの資産を持つ人はいくらでもいます。

終点を決めないまま資産形成を続けると、自由を得るために始めたはずの努力が、いつの間にか自分を縛ることになりかねません。

だからこそ、自分なりのEnoughを決めておくことが大切だと考えています。

何のためにお金を増やすのか。
どのような暮らしをしたいのか。
どの程度のキャッシュフローが必要なのか。
どのくらいの現金を手元に置くのか。
経済的な余裕ができたら、どのように働きたいのか。

これらを考えることで、資産形成は他人との競争ではなく、自分の人生を整えるためのものになっていきます。

私自身も、まだ目標に向かっている途中です。

状況が変われば、Enoughの基準も変わっていくでしょう。それでも、自分が何を守るために資産形成をしているのかは、忘れないようにしたいと思っています。

健康を守ること。
家族との時間を持つこと。
生活のためだけに働く状態から離れること。
そして、医師としてどのように働くかを、自分で選べるようになること。

必要なのは、世界で一番多くのお金を持つことではありません。

自分の人生にとって、十分な金額を知ることです。

その基準を自分で決めたとき、私たちは比較ゲームから少し離れ、自分の人生に時間とお金を使い始められるのではないかと思います。

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